月に震える夜


  その夜は風のない夜だった。
  星もなく、黒一色の空を月だけが不気味な度に青白い光を放っていた。
  海は荒れ、黒い波をうねらせ、波の音はまるで悲鳴のようだった。
  闇の中を男が一人、ふらりと歩いていた。
  禍々しい甲冑に身を包み、彫りの深い顔に威厳と畏怖を感じさせる口髭をたくわえていた。
  その表情は氷のように冷たく、童話「青ひげ」の青ひげ男爵を思わせた。
  男の名はドクトルG。
  悪の組織デストロンの幹部である。
  

  ドクトルGは闇色の空を見上げ、斧を掲げた。
  彼は瞳を閉じ、呟いた。
  「心地よい調べを聞かせろ」と。
  斧は月明かりを浴び、冴え冴えと輝いていた。
 
  そして・・・。
  斧から悲鳴が聞こえた。
  それはさまざまな悲鳴の集合体だった。
  命乞いをする女と泣き叫ぶ赤子の声。
  自分の死を悟り、狂い、破裂音のような笑い声を立てる男の声。
  死の間際の金切り声。
  嗚咽、絶叫、懇願。
  それは斧によって首を刈られ、胴を分断されたものたちの怨念の集合体でもあった。
  悲鳴は波の音と共鳴してなんとも言いがたいおぞましい音を立てた。
  「心地よい・・・・・・」
  ドクトルGはさも気持ちよさそうにその音に聞き入っていた。
  「どの世界の音楽も、どの歌姫が歌うアリアもこの音の心地よさにはかなうまい」
  斧から聞こえる悲鳴はいっそう高くなる。
  「この音だけが私を癒してくれる・・・・。そして・・・・・」
  ドクトルGはふと、何かを思い出したように目を伏せた。
  眉間に皺が走り、長い睫毛はかすかに震えていた。
  「私の中にまだこびりつく人の心を消してくれる・・・・」


  ドクトルGの本当の名はゲルハルト・フォン・ドクトルといった。
  ライン川のほとりにある古城の城主の息子だった。
  しかし、その城はもともとはドクトル家のものではなかった。
  ドクトルの家は成り上がりの家だった。
  彼の先祖は最下層の農民の出だった。
  草木も生えぬ、荒れた地を開墾し、生きるためなら腐りかけた残飯まであさった。
  そしてそれを人はあざ笑い、石をぶつけ、蔑んだ。
  先祖は貧しさとそれをあざ笑う周囲の瞳から抜け出すためにありとあらゆる事をした。
  策略、裏切り、虐殺、謀反、粛清。
  長きにわたりあざ笑われたことへの復讐を胸に秘め、斧を片手に先祖たちは地位を得、富を得、城を得た。
  多くの人間の血と引き換えに。
  人としての優しさ、思いやり、花をめでるような柔らかな感受性と引き換えに。

 そして、それはゲルハルトの代までも引き継がれた。
 彼の父親はドイツ軍が誇る歴戦の勇者だった。
 しかし、戦のたびに敵の首を刈り、膾のように切り刻む彼の姿を見て味方さえもこう言ったという。
 暴君ネロの生まれ変わりと。
 「青ひげ」の再来と。
 彼の母親は美しかったが、その美しさゆえに様々なものを奪われ、人を憎み、心を氷の刃で閉ざしたような女だった。
 幼きゲルハルトは物心ついたころから両親に家訓を復唱させられた。
 「おのれ以外はすべて敵と思え。信じるものは力のみ」と。
 両親は同時にゲルハルトの柔らかな感受性さえも摘み取った。
 花をめでれば頬をぶたれ、友を作って遊びたいと懇願すれば地下室へ閉じ込められた。
 血の匂いの充満する拷問道具のある地下室へ。
 誰しもが異常と思うだろう。
 しかし、ドクトル家ではそれが常識だったのだ。
 
 ゲルハルトは歪みきった家訓を子守唄として聞かされ、先祖代々伝わる斧をおもちゃにして育っていった。
 ゲルハルトが人の心を削っていくのはそう時間はかからなかった。
 成長すると、ゲルハルトは父と同じ道を歩んだ。
 ロンメル将軍直属の勇者。そして、ドイツ軍に半永久的に名を語り継がれる殺戮者となった。
 彼も父と同様斧で敵の首を刈り、胴を裂いた。
 
 しかし、彼にはわずかな良心が残っていたのだ。
 花をめで、音楽に耳を傾ける人として当たり前の感情。
 だが、それが閉ざされた心の奥底から這い出したとき、ゲルハルトは狂いそうなくらいの激しい胸の動悸と呼吸困難に苦しんだ。
 それはのろわれたドクトル家の呪縛だった。
 彼の良心を封じ込めるための呪縛。
 ゲルハルトは苦しんだ。
 自分の生い立ちを憎み、運命を憎み、わずかに残された人間らしい感情を憎んだ。
 
 大戦が終わり、城の中で息を潜めて暮らすゲルハルトにある日、暗闇から囁き声が聞こえた。
 「仲間になれ。戻ろうではないか。殺戮、恐怖、苦しみ、憎しみの中へ。そして、それらで彩ろうではないか平和におごる人間どもが住む世界を」
 ゲルハルトはすがりつくように声に応えた。
 「もどらせてくれ。これ以上、もうこれ以上。かすかな感情に怯えないように。私を闇の中へ包んでくれ」
 

 
 その日から彼は名を捨て、デストロン大幹部、ドクトルGへと生まれ変わった。
 自分の手で恐怖におののく人間の悲鳴は彼にとって最上の音楽であった。
 自分の手で殺めた人間の死体は彼にとって最上の美しいオブジェであった。
 
 そう思っていた。しかし・・・。
 彼の中でいまだに残るわずかな柔らかな感情がいまだに彼を苦しめた。
 その度に激しい動悸に襲われ、その度に月夜の晩に斧をかざしては斧から聞こえる悲鳴に聞き惚れた。
 心を癒すために・・・。
 
 ふと、頬をかすめる柔らかな羽の感触にドクトルGは我に帰った。
 それは白い蝶だった。
 蝶は月明かりに仄かに輝き、白の羽を広げて楽しげに舞っていた。
 美しい・・・。
 Gは感情の赴くまま手を伸ばした。
 「来い」
 彼は蝶を手招いた。
 蝶は声に答え、ひらひらと近づいた。
 「美しいな、お前は・・・・・」
 Gは蝶にそっと唇を寄せた。
 
 すると・・・。
 蝶はもがくように羽を震わせ、そのままGの手から零れ落ちるように死んだ。
 Gはうちひしがれた。
 「・・・・・・・これもまた私の運命か」
 ドクトルの家は毒も研究していた。
 屋敷の庭にはトリカブト、べラドンナの花が咲き乱れていた。
 一族のものは皆、幼いころから少しずつ食べるものや飲むものに微量の毒を入れられ、毒を体に染み込ませるように育てられた。
 毒殺されぬように、そして、吐く息で人を殺められる人間兵器となるように。
 Gもまた同じように、毒を体に染み込ませている。
 そして、彼の吐く息で人を殺められるようになった。
 
 Gははしばみ色の瞳を悲しみに彩らせて蝶を砂に埋め、葬ろうとした。
 
 しかし。

 闇から声が聞こえた。
 「何をしておる。さきほどからふらふらと。余計な感情に惑わされるな。お前ほどの男が・・・。大幹部にあるまじき行為だ」
 「・・・・・・・!!!首領!申し訳ございません」
 Gは闇からの声にひれ伏した。
 「まあ、よい。おまえに頼みがある」
 「頼み・・・・・? 」
 「我が組織デストロンの野望を阻む邪魔者の抹殺だ」
 「・・・・・」
 「名は仮面ライダーV3。奴の赤い仮面を血に染めてくれぬか?のう、ドクトルG」
 Gは斧をかざした。
 月明かりと斧の鈍い輝きがまだ対峙した事のない敵の顔を浮かび上がらせた。
 正義というくだらないものを掲げデストロンにたてつくこわっぱ。
 その赤い仮面が我が斧で分断されるとき、それはさぞ美しい芸術作品となるだろう。
 その悲鳴は今まで聞いた中で最高のアリアとなるだろう。
 Gの顔から笑みがこぼれた。冷たい、先ほど蝶をめでていたものとは思えない慈悲のない笑みが。
 「かしこまりました。首領・・・・。お任せください。必ずや仮面ラーイダV3を我が斧で仕留めて見せましょう」
 Gの瞳は紅く染まっていた。
 それは人の感情はなく、悪の組織の大幹部にふさわしき、威厳とぎらつくような殺意に支配されていた。
 月はいつのまにか紅色に変わっていた。

 それはまるで倒すべき敵の仮面の色を浮かび上がらせているかのように。
 そして、Gが殺めた人間の流した血を染み込ませたかのように。

 月は紅く、残虐な喜びに打ち震えるGの顔を照らしていた。
 



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