荒野の風に吹かれて

白い闇の中で、ゲルハルトはもがき苦しんだ。
凍てつくような風に吹かれながら何度も何度も許しを乞うた。
しかし、天からの声は無慈悲にもゲルハルトに言った。
「思い出せ、お前の罪を。さあ、この風がお前の記憶を呼び覚ます。逃げるな、思い出せ」
ゲルハルトはうずくまった。

しかし、もがく彼に、容赦なく、風は冷たかった。
ゲルハルトは顔を上げ、涙に濡れた瞳で呟いた。

「思い出した……。我の罪を。我が犯した罪を」
そして、ゲルハルトはじっと己の手を見つめた。
じっと、長い間手を見つめていた。
ようやく、ゲルハルトは二言目を発した。
「我がこの手で殺め、辱めた少年のことを 」

それを気に、ゲルハルトは罪を語った。
涙に濡れた顔でつらつらと自分の罪を話すさまは、まるで催眠術で滑稽な踊りをさせられている観客のように、それは滑稽で。

どこか哀れだった。

ゲルハルトは続けた。



今から、十数年前であろうか。
戦を終えた我は荒野をさまよっていた。
血塗られた鎧と斧もそのままに、我は荒野をさまよっていた。
吹き付ける砂の混ざった風は我の心にも吹き付けた。

心地よかった。

なぜならば、あらゆることを忘れられるからだ。
憎しみに覆われたわが城、戦の炎、悲鳴、散らばる臓物、血飛沫、わが斧が刈った無数の首。
そして、我の中でささやくどす黒くドロドロとした声も。

我はどれくらいさまよったのだろうか。
凍てつく荒野を。
飲まず、喰わずに。
心のもやを吹き去るべく、たださまよっていた。

しかし、さまよえばさまようほどに心のもやは晴れることなく、我は力尽きた。
気がつけば、粗末な庵に敷かれたござに我は寝かされていた。
薄目を開けてみると、この地方独特の浅黒い肌をし、髪は剃髪にしており、粗末ながらも色鮮やかな布を羽織っている少年がこちらを見つめていた。
少年は口を開き、我に何か話し掛けた。
しかし、我にはそれを理解できなかった。
欧州の言葉は殆ど理解できたが、アジアの言葉は理解できなかった。
少年は悲しげに我を見つめ、身振り手振りで我に意思の疎通を図った。
少年の身振り手振りから察するに、我は飢えと疲労で倒れていたところを少年に発見され、ここに寝かされたということだろう。
我は、不安そうに見つめる少年に身振り手振りで、大丈夫と答えた。
少年は微笑み、青菜と麦の粥を差し出した。

この粗末な粥をすすり手振りでの会話を通して知ったことは、少年はこの地方の僧侶だということだ。
我はこの皮肉な出来事に笑いがこみ上げた。
神も仏も恨んでいたこの我が、仏の御使に助けられるということに。
我の横ではその小坊主が不思議そうに首をかしげていた。

それから数日して、我の体の調子は整い、すっかり起き上がれるほどになった。
少年はゆっくりしてくれと我を庵にとどめた。
歩けるようになると少年は外に我を連れ出した。
庵の周りの風景は、欧州では見られない寒々とした、しかし不可思議な風景だった。
灰色の岩たち、緩やかに流れる土色の河、砂埃交じりの風に覆われていた。
だが、次第にその風景も心地よく、我は凪の心を取り戻した。
寒々とした景色の中にも、高原に咲く小さな花々は風が吹くとかわいらしく揺れ、集落では貧しいながらも優しく慎ましい夕餉の匂いを運んでいた。
そして、十の鈴を一気に鳴らしたように愛らしくもけたたましい童の笑い声がきこえていた。

この庵にこもり、病んだドクトルの家を捨て生きるのも悪くない。
我は頬に羽虫が掠める程度であったがそんなことを思うようになった。
しかし。
我の心の闇はそれを許してはくれなかった。

或る夜のことだった。
それは風の強い夜だった。
小さな庵はカタカタ揺れて、隙間風寒く、薄い敷布では暖を取れないそんな夜だった。
我の中で再び声が聞こえた。

「お前はそれで満足なのか、殺せ。この坊主を殺めろ、所詮、神や仏の教えなどすべてまやかし。殺せ、殺せ 」

我は首を振った。
しかし、闇の中でその声はあざ笑うように「殺せ殺せ」と繰り返していた。

我は叫んだ。

「やめろ!! 」

我は冷や汗をかき、敷布を握り締めていた。

横では少年が灯りをともして我を見つめていた。
その瞳には年相応の怯えの色が見え、それはたまらなく我を不快にさせた。
それからの我はすさんだ。
草花も、集落から届くぬくもりも我の心を安らげはしなかった。
それどころかますます我を荒ませた。
少年は心配そうに我を見つめた。
我はますます不快になった。
少年は身振り手振りで我を諭した。
少年は我に言った。我が多少はわかるようになった現地の単語を駆使して。
「あなたの心には深い闇がある。とてもとても黒く深い病んだものが巣食っている。どうか私に話してくれないか。私は貴方を救いたい」
我は少年の言葉を鼻で笑った。
御仏の救いなど我には無用。
題目など、説教など、我には何も響かない。
小坊主、お前に我の気持ちなぞわかりはしない。

しかし、少年は我の手を強く握り締めた。
「貴方はうそをついている。貴方は花を愛でた、子ども達の笑い声に耳を傾けた。どうか、少しでも耳を傾けてください。私は貴方を救いたい。なぜならば……」
少年は、一呼吸置いて言った。
それは今でも脳裏に焼きついている。
「私は貴方を友人と思っているからだ」

その瞬間、我の中で何かがはじけた。
膿がぶちまけられたように激しい憎悪が我を包んでいた。

そして……。

気がついたときには我の手は血に染まっていた。
足元には粗末な衣を血に染めていき耐えた少年が虚ろな瞳で我を見据えていた。
その瞳を見て、我は奥底に押し込めていたドクトルの忌まわしき血がうずくのを感じた。
複雑な感情に震える我に闇の中の声が囁いた。
「その亡骸を私によこせ、そしてお前の手で悪しき物に変えてくれ」
その言葉に我の血は熱くたぎり、体は激しくうずいた。
それからの我の行動は鬼畜そのものだった。
罪人を殺め、罪人と少年の四肢を断ち、臓腑を取り、皮をはいだ。
そして二人の細胞を摂取し、我は化け物を作った。
我の体を得体の知れない快感が覆った。
善なるものの体で悪しき化け物をこの手で生み出す。
それは、コウノトリが赤子を運ぶと信じる少女を陵辱し、それを虐殺する猟奇殺人者の快楽のようだった。
我は笑いながらそのおぞましき作業を続け、醜悪なガマガエルの化け物を生み出し、集落を焼き、花を燃やし、高原を死の地にした。

我は狂っていた。
我は壊れていた。
そして己の弱さゆえ、少年の救いの手を振り払い、闇に溺れた。

それが我の罪。
それが。
取り返しのつかぬ一つ目の罪。

目を見開き、はらはらと涙をこぼし、ゲルハルトは淡々と陰惨な罪状を天の声に導かれ、語っていた。
そんな彼を冷たい風が、荒野に吹くような冷たい風がすり抜けていった。




      つづく……。




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